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おしらせ

2017/11/13

着物はっ水加工の歴史④(パールトーン加工)

パールトーンという名称が会社の名前になりました!

皆様 こんにちは パールトーンタイムスリップ第四弾は1961年です。

1961年(昭和36年)
大切な衣裳に水がかかってもパールトーン加工がしてあると真珠のようにコロコロころがるから・・・
それがパールトーンの社名誕生の秘話です。

佐世保で産声をあげた國松商会は昭和33年(1958年)に東京パールトーンとして日本橋久松町に営業所を構え、三越、髙島屋、伊勢丹、東京市田、白木屋と老舗百貨店と次々にお取引を開始いたしました。
そして、昭和36年には現在の拠点、京都へ根を下ろします。これはとりわけきもののメッカは京都との認識がきもの業界内で強かったことや、しょうざん先代社長からの要請があったからです。社名を株式会社 京都パールトーンに変更し、いよいよ企業化へのスタートとなったわけです。京都市右京区梅津段町に工場を開き、営業の本拠を構えました。しょうざん、上田善、矢代仁、千總、千切屋 さんと室町、西陣の呉服問屋とのお取引がはじまり、パールトーンの技術は着実に全国に広がりを見せていきました。
ちなみに、パールトーンという社名の由来をここで述べておくと、昭和30年 西陣のつづれの小川英さんが撥水加工を施した繊維に水がかかって真珠のようにコロコロとはじけるのを見て、パールトーンと銘々したのがきっかけで、図らずも昭和35年6月11日の繊維組合新聞でもパールトーンを「真珠のような輝き」という見出しで紹介されています。
このころから、美容界の山野愛子先生をはじめ各界の先生方の信用も得られ、結果大きな宣伝効果を生んでいったようです。当時、山野愛子先生が発刊されていた「ビュウティ クラブ」(昭和35年4月号)でも先生自らのパールトーンへのメッセージが紹介されています。また、当時のパールトーンのパンフレットには、山野愛子先生をはじめ、大塚末子きもの学院院長さん、プロレスラーの力道山さん、映画俳優の水戸光子さん等々、著名人のパールトーンへのメッセージが紹介され、その技術への信頼が大きく広まっていきました。


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