おしらせ

2017/09/27

着物はっ水加工の歴史①(パールトーン加工)

着物はっ水加工の歴史①(パールトーン加工)

「美しいものを自然の風化から守りたい・・・。 創業者、國松勇の夢が発明を生んだ!」

皆様こんにちは。前回の8月のおしらせでもパールトーンの原点について少し記載したのですが、歴史面に関しても何回かに分けご紹介させていただきます。

1929年(昭和4年)
美しいものは花のいのちのように短い・・・。創業者の國松勇は、先祖が残す美しい品を自然の風化から守りたいと願いました。若き日の夢がひとつの発明を生んで・・・。

創業者の國松勇は長崎県佐世保市の出身で、大正年間、当時東京にあった化学研究所で応用化学を学んでいました。学生のころから「花のいのちの短さ」同様、どんなに美しい芸術品も美しければ美しいだけ傷みやすいことがたまらなかったと後に語っています。きれいな水でもすぐにシミになるお召、わずかな湿度の変化でその風合いを失ってしまう綴織。にわか雨でさえ伸びてしまう絞り・・・。先祖が真心こめてつくりあげた品はどこの家庭にもあり、これらはみな生きています。何とかして自然の風化から守り、その美しさを保つ方法はないだろうか、そんなひたむきな研究がこの特殊な真空加工法の発明につながっていきます。
学生時代を東京で過ごした國松勇は、昭和3年には帰省し佐世保高等女学校で講師をします。しかし、当時九州の旧海軍から金モールや大礼服が海水で湿気て錆びてしまうのでなんとかならないかという依頼があり研究開発を進めた結果、特殊なはっ水加工を発見したのです。昭和4年(1929年)のことです。これがパールトーンのはじまりで最初はライオンプレス(國松商会)という名前で化学洗濯を主とする営業を開始します。その後は九州旧海軍の水交社特約店として軍服、将校マント、大礼服、将校家族の和服などの加工をするようになりました。
防水加工なら他にもいろいろあるわけですが國松勇が特にこだわったのは、決して自然にさからわないこと。通気性を保ちむれるようなことはなく、染替えの時は加工の効力はなくなっても、生地にシミがないので美しく染めあがるといった具合です。
パールトーン加工の発見をしてからも、常に加工技術の研究開発を突き進めた結果、わが国で類を見ない優秀斬新な科学的加工として京都染織試験場よりその価値を高く評価されたのは昭和27年のことです。


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